アメリカ滞在の最後の一年間、私はボストンの北のベルモントという街に部屋を借りて過ごしました。ハーバード大学のあるハーバードスクエアからバスで20分ほどの街です。大きな一軒家に、大家さんを含む4人のルームメイトと一緒に住みました。
ルームメイトの一人は大家さん。60歳くらいの女性でした。それから30歳の女性、22歳の女性、それから高校生の男の子。それぞれ強い個性の持ち主で、なかなか楽しい1年間でした。
思えばこの大家さんとはよく意見の相違がありました。いつも原因はちょっとしたことだったんですけれどね。
例えば冬場の暖房の温度設定について。私たちは寒いと言うし、大家さんは「暑いと息ができない」と言う。(ふふ、面白いことを言う人でしょ?)私たちが設定温度を少し上げると、それに気づいた大家さんがすかさず下げる。そしてその度に「寒い」「息ができない」の押し問答になりました。最終的には、私が「ボストンエリアでは日中では室内の温度は少なくとも68°F、夜間は64°F以上でなければならないという法律がある」と話をして設定温度が決まりましたが。
私が掃除をし過ぎると言われたこともありました(笑)。大家さんのお家は土足ではありませんでしたし、毎週2回お手伝いさんが掃除に来てくれていたので常に比較的綺麗に保たれてはいましたが、やっぱり日本人の感覚からするともうひと息、なわけです。最初は掃除の回数が増えて綺麗になったと喜んでいたのに、毎日掃除機をかけるようになると「やりすぎ」になってしまいました。そのバランスが難しかった。結局私は知らん顔して掃除してましたけれど。
しょっちゅう言い合いをしてはいましたが、大家さんとは一緒に近くの公園に散歩に行ったりランチを食べたり、なんだか不思議な関係でした。いまだに時々メールのやり取りをしているのだから、面白いものです。
私はこの家が大好きでした。家を取り巻く環境が大好きでした。
家のすぐ裏には林が広がっていて、一度は大きな鷹のような鳥が飛んできましたし、リスもたくさんいました。
大家さんは窓の外に小鳥のための餌箱を置いていたので、色とりどりの小鳥たちが次から次へとやってきて、私は飽きることがありませんでした。
林の向こうには川が流れていて、夏の夜には涼し気な水の流れと虫の音を聞くのが楽しみでした。
秋には街路樹が赤く染まりました。ハロウィーンの頃には近所の家々の窓や庭先がハロウィーンの装飾でいっぱいになり、いかにもアメリカらしい風情でした。クリスマスの時期も、外は寒いのに明かりの灯った家のなかはすごく暖かそうに見えました。
冬場、雪がたくさん降った後などは、家の前の道路まで雪のため出られないこともありました。ボストン市内に住んでいた頃は、朝出かける頃には既にアパートの前の歩道の雪かきが終わっていたので、雪のせいで歩けないなんて心配はしたことがありませんでしたが、ここでは家のドアから公道へ出るまでの数メートルは私たちの責任で雪かきをする必要がありました。といっても、雪かきなんて到底ひ弱な私たちにできる仕事ではなく、雪が積もるたびに、大家さんは近所に雇われてやって来ている人たちに声をかけて、ついでに雪かきを頼んでいました。
雪国は大変です。
とはいえ、このエリアは冬でも日中はせいぜいマイナス5~6度程度のことが多く、暖かくして出かければしのげない寒さではありませんでした。ただ、一度だけ気温がマイナス16度、風速が10メートル以上になったことがあり、その時はバス停から家までの10分足らずがつらくてつらくて、「もういや、もうやめて」と本当に泣きたい気分でした。周りを歩くアメリカの人たちのなかには、目出し帽をかぶって泥棒さんのようないで立ちの人もいました。私が寒さのために文字通り泣きそうになったのは、あの時だけです。
私がベルモントに住んだのは1年間だけなので、季節がぐるっと一周した頃にはその大好きな家をあとにしました。
大家さんもあのお家も、時々懐かしく思い出します。
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